えらぶゆりについて
えらぶゆりの物語
やわらかな香りを漂わせ、凛として咲く真っ白な花、えらぶゆり。
花言葉は「純潔」「威厳」
欧米では古くから、純白の百合は、春を告げる花「イースターリリー」、聖母マリアのシンボル「マドンナリリー」と呼ばれ愛されていました。明治期、シーボルトによって欧米にもたらされた日本の百合はまたたくまに人気となり、多くの球根が日本から輸出されました。そして、実は、そのほとんどが、鹿児島の遥か南の海に浮かぶ小さな島、沖永良部島生まれの「erabulily~えらぶゆり~」だったのです。
それは100年以上昔のこと、島を訪れた貿易商アイザック・バンディング氏が、沖永良部に自生する白い百合に目をとめました。「この球根を大切に育ててください。必ず私が買い取りに来ますから」そう言い残して帰国した彼の言葉を信じて、島の農民は大切に百合の球根を育てました。そして数年後、約束通り島を再び訪れたアイザック氏は、農民たちが驚くような価格で百合の球根を買い付けたといいます。これがえらぶゆりの始まりといわれています。
塩害に強く、島の赤土で良く育つ百合の球根の栽培は、瞬く間に島中に広がり、やがて、多くの商社が島に球根を買い付けにやってくるようになりました。最盛期には、横浜の倉庫がえらぶゆりの球根で一杯になったほどだったといいます。
2度にわたる世界大戦や目まぐるしく変わる世界経済、そして蔓延するウイルス病など幾多の苦難に見舞われながらも、島の人々は、たゆまぬ努力でこの花を守り続けてきました。
いかに横浜ぬ波荒さ遭てぃもヤリクヌ 百合は捨つるなよ 島ぬよぅ宝
(民謡「永良部百合の花」より)
100年の時を超えて守り継がれてきたえらぶゆり。この島の宝を100年先に受け継ぐために、島では今、新品種の開発や、更なる生産技術の向上など、様々な新しい取り組みがすすめられています。