2016-03

【第12回】えらぶゆり栽培100周年

えらぶユリの栽培が始まったのはいつだったのか、100周年の記念日設定に当たって論議があった。
ゆりの取引については、明治35年、アイザック・バンティング氏の仕入れ主任、伊沢 九三吉 氏が来島して、市来崎 甚兵衛 氏にゆり集荷をさせたとの記録がある。

栽培はその前に始まっていたことになる。

明治31年、喜美留沖でイギリス船が難破し、助け出されたバンティング氏が野生のゆりを見つけ栽培を奨励したとの伝承があり、えらぶユリ栽培の始まりは、明治32年(1899)と定められた。
それから100年目に当たる平成10年(1998)をえらぶゆり栽培100周年記念年としている。

100年にわたって、本島の経済・文化に貢献してきた特産のえらぶゆりに感謝すると共に次の100年に向けた振興発展を願って、100周年記念事業が計画された。

記念事業として、公園や道路沿いなど、島内中にゆりの植栽を行い、ゆりの香りに包まれた4月にえらぶゆり振興大会等の記念式典や記念碑建立、記念誌の発行等が行われた。
その概要を記述する。

<記念式典の概要>

えらぶゆり振興大会100年記念講演

えらぶゆり振興大会100年記念講演

 えらぶユリ振興の功労者の表彰

  • えらぶユリ振興大会
    基調講演「切り花生産からみたテッポウユリ球根生産の将来性」と題いて、大阪府立大学 今西英雄農学部長の講演
  • パネルディスカッション
    「えらぶユリ球根産地の将来性」について、指定商代表、市場代表、切り花産地代表、消費者代表、地元代表によるディスカッション
  • アイザック・バンティング氏の功績
    えらぶユリの生みの親であるバンティング氏の末裔の招へいを計画し調査したが、氏の子孫はカナダのバンクーバで途絶えており、式典当日、知名町出身の留学生松元美幸さんがお墓に花を捧げて感謝の意を表した。

<えらぶユリ栽培100周年記念誌の発行>

えらぶゆり栽培100周年記念誌

えらぶゆり栽培100周年記念誌

  • 元鹿児島県農業試験場花き部長・和泊町花き指導監 小林正芳氏編纂
    第1部 100周年記念事業・えらぶユリ振興大会の基調講演等の内容を掲載
    第2部 回想録 大学や農水省、県等の関係機関、指定商、各界関係者等からのえらぶユリとの係りを回想録として掲載
    第3部 歴史編 生産販売の沿革、品種の変遷、栽培法の変遷、生産地形成の要因等、栽培100年の歴史を明治、大正、昭和、平成の年代毎にまとめてある。
    第4部 資料編 ユリ根の生産販売状況、取引価格のほか沖永良部の気象状況等
    付 ゆり百年歌詞 山口喜慶作詞、竿田富雄作曲
    付 篤志寄附者御芳名 記念碑建立に当たり、生産者、関係各位、指定商社等からの寄付者名掲載

<永良部鉄砲ユリ百周年記念碑建立>

えらぶゆり100周年記念碑

えらぶゆり100周年記念碑

えらぶユリ発祥の地である喜美留の笠石公園の入り口に、生産者や関係各位の篤志寄附により「百周年記念碑公園」として整備された。

この1年間、えらぶゆりの歩みについて、自分自身が体験してきたことをもとに記述してきました。
えらぶユリは今年、栽培から118年を迎える。

花の嗜好は時代によって変わっていくが普遍的な美しさを持つユリは、いつの時代にも人々の心をとらえて離さないだろう。

今年、沖永良部空港の愛称が「えらぶゆりの島空港」と命名された。

今後ともえらぶユリが世界の人々に愛されることを願って、この項を終了します。

ありがとうございました。

2016-03-01 | Posted in えらぶゆり生産のあゆみComments Closed