2015-03
【第1回】沖永良部島とえらぶゆり
世界でも知られた花「えらぶゆり」
「えらぶゆり」はアメリカで命名されました。アメリカでは「エラブリリー」といいます。
色白く芳香を漂わせ、楚々と咲く花。
その白百合の姿は聖母マリアの高貴なお姿の様です。
明治30年代、この花を求めてヨーロッパ人が奄美大島に訪ねてきました。彼らは、アメリカにこのテッポウユリの球根を輸出し、復活祭の花として人気を博したといいます。
この沖永良部島にも1人のイギリス人がやってきました。その名をアイザック・バンディングといいます。
彼の乗った船が遭難してこの島に漂着し、村人に助けられたバンディングが、山野に咲くテッポウユリを発見して、この花の栽培をすすめたといわれています。
あるいは、横浜でプラントハンターとして輸出商社を営んでいたバンディングは、テッポウユリを求めて沖永良部やってきたとも、考えられます。
バンディングは故郷のイギリスに日本のユリを送って、華麗な庭園を築き、知名人を招待して楽しんだといいます。
沖永良部島は「花の島」です。「花の島」の歴史は「えらぶゆり」の歴史です。
沖永良部島産のテッポウユリは、明治時代から欧米諸国に輸出されてきました。
大正時代には、沖永良部のテッポウユリがアメリカでカタログ商品として知られるようになりました。カタログには次のように紹介されていたといいます。
「本社特選リリー “Erabu(エラブ)”」
過去25年間に、米国花卉市場で紹介されたものの中で最上の優良品種を、本社社員が沖永良部島にて発見。
この“Erabu(エラブ)”は丈夫で花の咲き振りもよく、素人にでも容易に栽培できます。
また、本種は復活祭用として、比較的寒い地方でも栽培できます。本種の包装には必ず日本政府の証明書が添付されていて、決して偽物ではありません。
世界広しといえども、アメリカで島の名からつけられた商品など、ほとんどないはずです。このように「えらぶゆり」は沖永良部の島を象徴した金になる花でした。
【第1回】えらぶゆり生産のあゆみ
沖永良部島の「えらぶゆり」生産のあゆみ
テッポウユリは、南西諸島から琉球列島に広く分布する純白で香りの高い清楚な花で、国内外で切り花・鉢もの・花壇用等として栽培されています。
野生のゆりを栽培し、「えらぶゆり」として特産品化して、沖永良部島の経済や教育文化を始め、人材育成にも影響を及ぼしたとされる「えらぶゆり」の歩みをご紹介したいと思います。
我が国のゆりが欧米に紹介されたのは江戸時代で、純白のゆりの花はキリスト教の聖花として貴ばれています。
明治6年、日本のゆりは、オーストリア万国博覧会に出品され欧米の人々に高く評価され、これを契機に日本のゆりの輸出が増大し近年まで続いていました。
当時、欧米の貿易商たちは、日本各地の珍しい植物を求め、プラントハンターとして活躍していました。
その中の一人が英国人のアイザック・バンティング氏です。
明治31年、喜美留の海岸端に自生しているゆりを見つけ栽培を奨めたのが「えらぶゆり」の始まりとされています。
当時、我が国からは、横浜居留地周辺のヤマユリやカノコユリが盛んに輸出されていましたが、テッポウユリも関東や九州等各地の黒軸系ゆりが扱われていました。
南西諸島のゆりは本土産に比べ草姿が優れており、また一番の特徴は開花が早いことであり、欧米では、クリスマスに開花させることのできる産地として絶大な人気があり、奄美の島々でゆり生産が盛んとなっていました。
なかでも沖永良部島では先人たちの旺盛な研究心と栽培に対する熱意で、系統選抜や栽培技術改善が図られ、他の島とは違う産地形成が図られていきました。
当時の交通網、情報網の未発達な時代に、沖永良部島のゆりを商品作物として生産し、販売していく為には並大抵の苦労ではなかったかと思われます。
また、輸出されたゆりは、温室栽培により切り花になって始めて価値が上がる商品であることから、世の中の経済事情等に大きく影響されました。
更に、市場動向により価格も大きく変動することから、優良品を生産するだけでなく、販売体制、需要供給のバランスを保ちながら生産することが重要であり、ゆりを通して種々の状況に対処する知恵を付けてきました。
私が和泊町役場に勤務した昭和47年は、我が国の高度経済成長期真っただ中で、ゆりを取り巻く情勢が大きく変化している時代でした。
次回から、当時ゆり関係の仕事に係り、現場で体験したことを年代ごとに記述していきたいと思います。
【第1回】生産者の紹介
生産者紹介ページでは、沖永良部花き専門農業協同組合 ゆり部会のメンバーを紹介します。
「えらぶゆり」と一緒に、生産者の思いも感じていただけると幸いです。
今回は沖永良部花き専門農業協同組合 ゆり部会長の伊地知 進一さんを紹介します。
Q:ゆりを作って何年になりますか?
A: 25年
Q:ゆりを作る事で、一番気を遣う事はなんですか?
A:球根生産から切花出荷まで3年かかります。球根生産時の肥培管理と大事に育てた花が消費者の皆様のお手元へ届くまで花が傷まないように,箱詰に気を使います。
Q:後継者に一番伝えたい事はなんですか?
A:100年以上続く「えらぶゆり」を絶やさないように、愛し続けてもらいたい。
Q:これからのえらぶゆり生産の課題は何だと思いますか?
A:「えらぶゆり」を消費者の皆様に知ってもらい、買っていただくこと。
【第1回】えらぶゆりの魅力
えらぶゆりの魅力
私がこの島に降り立ったのは、ちょうど去年のゆりの咲く頃でした。
島での新しい生活に、心は期待と不安で入り混じっている中、集落の中をひとり歩いていると、民家のブロック塀のうしろから白いゆりの花が見事に咲いて、ひょいと顔を出していました。
そのゆりの花は、春のあたたかい光を浴びて透き通るように白く、その凜とした姿に思わず息をのみました。
私は、今まで都会での生活の中で「ゆりの花」というと冠婚葬祭で飾られたり、花瓶に活けられているものしか見たことがなかったので、ゆりの花が民家のお庭やブロック塀の隙間、集落の広場などで咲いているのを見たとき驚き、感動しました。
それだけ「えらぶゆり」は沖永良部島の島人にとって、とても身近で大切な存在であることを知りました。
えらぶゆりの魅力は、その白く美しく凛とした姿と気品のある香りです。
たくさんの人に愛されているお花のひとつですが、意思を持っているかのように思えるほど、美しさの中に芯の強さを感じます。
それはきっと、手塩にかけて育て、守ってきた「えらぶゆり」に関るたくさんの人たちの想い、歴史を背負っているからでしょう。
私は、大きく深呼吸をして
ゆりの香りで胸をいっぱいにし、凜と咲き誇るゆりたちに「前を向いて、一生懸命 頑張れ!」と勇気をもらったような気がします。
えらぶゆりはそんな「勇気」も与えてくれる
魅力に溢れたお花です。