沖永良部島とえらぶゆり
【第1回】沖永良部島とえらぶゆり
世界でも知られた花「えらぶゆり」
「えらぶゆり」はアメリカで命名されました。アメリカでは「エラブリリー」といいます。
色白く芳香を漂わせ、楚々と咲く花。
その白百合の姿は聖母マリアの高貴なお姿の様です。
明治30年代、この花を求めてヨーロッパ人が奄美大島に訪ねてきました。彼らは、アメリカにこのテッポウユリの球根を輸出し、復活祭の花として人気を博したといいます。
この沖永良部島にも1人のイギリス人がやってきました。その名をアイザック・バンディングといいます。
彼の乗った船が遭難してこの島に漂着し、村人に助けられたバンディングが、山野に咲くテッポウユリを発見して、この花の栽培をすすめたといわれています。
あるいは、横浜でプラントハンターとして輸出商社を営んでいたバンディングは、テッポウユリを求めて沖永良部やってきたとも、考えられます。
バンディングは故郷のイギリスに日本のユリを送って、華麗な庭園を築き、知名人を招待して楽しんだといいます。
沖永良部島は「花の島」です。「花の島」の歴史は「えらぶゆり」の歴史です。
沖永良部島産のテッポウユリは、明治時代から欧米諸国に輸出されてきました。
大正時代には、沖永良部のテッポウユリがアメリカでカタログ商品として知られるようになりました。カタログには次のように紹介されていたといいます。
「本社特選リリー “Erabu(エラブ)”」
過去25年間に、米国花卉市場で紹介されたものの中で最上の優良品種を、本社社員が沖永良部島にて発見。
この“Erabu(エラブ)”は丈夫で花の咲き振りもよく、素人にでも容易に栽培できます。
また、本種は復活祭用として、比較的寒い地方でも栽培できます。本種の包装には必ず日本政府の証明書が添付されていて、決して偽物ではありません。
世界広しといえども、アメリカで島の名からつけられた商品など、ほとんどないはずです。このように「えらぶゆり」は沖永良部の島を象徴した金になる花でした。
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- 【第1回】沖永良部島とえらぶゆり - 2015年3月26日