2015-05
リリリーPV完成しました!
和泊町公式キャラクター「リリリー」の誕生にあわせて製作されたPRソングです。
和泊町の新公式キャラクター「リリリー」とリリリーキッズが踊る
「LOVELOVE!おきのえらぶ!!~リリリーから愛をこめて~」
覚えやすいフレーズで、気づいたら口ずさんでしまいます♪
皆さんも是非覚えてください♪
【第2回】満開のえらぶゆり2015
今年は、笠石海浜公園のえらぶゆりが5月上旬に満開になりました。
満開のえらぶゆり畑は、本当にすばらしい光景でした。
多くの島民、観光客のみなさんがゆり畑の中を散策しながら、写真を撮ったり、香りをかいだりして楽しんでいらっしゃいました。
また特に夕暮れ時には、えらぶゆりの香りが風に乗って県道の方にも香ってきました。
ぜひその様子をご覧ください。
今回逃してしまった方は、ぜひ来年この光景をご覧になりにお越しくださいませ!
きっと赤土と青い空、海、白いえらぶゆりの沖永良部島独特のトリコロールがお楽しみいただけると思います。
和泊町地域女性連絡協議会総会で「リリリー」紹介
平成27年5月10日(日)和泊町地域女性連絡協議会総会で「リリリー」を紹介いただきました!
リリリーもちょっと緊張していましたが,かわいい!という声で大喜び♪
今後も地域の皆様の応援をお願いします!
和泊町公式キャラクター「リリリー」facebookページスタート!
リリリーのfecebookページがスタートしました!
リリリーの活躍をどんどん発信していきます!
リリリーfacebookページを是非登録ください!
和泊町の公式キャラクター誕生!
2015年5月3日に開催された「ゆりフェス」(主催:和泊町連合青年団)で
和泊町の新しい公式キャラクター「リリリー」がデビューしました!
とってもかわいいリリリーの今後の活躍に乞うご期待♪
【第2回】昭和40年代のえらぶゆり球根の生産状況
昭和40年代のえらぶゆり球根の生産状況
第2次世界大戦前まで欧米の国々に輸出されていたえらぶゆりは、戦争によって輸出が途絶え、栽培も禁じられていましたが、先人たちは秘かに種球を守り、戦後すぐにゆり球根の生産を始めております。
戦後、奄美の島々は日本と分離され米軍統治下におかれ本土への渡航ができなくなりました。その中でゆり生産を復活させ、昭和24年、米軍政下で輸出が再開されております。
奄美群島が日本復帰した昭和28年以降、欧米でゆりの需要が高まり、ゆり増産に拍車がかかり、生産量が増大していきました。
昭和40年代は、我が国が戦後復興を成し遂げ、急激な経済成長に伴い、社会全体が大きく変化してきました。
経済成長により地方から都会への人口流出が進み、食料品の需要増大と併せ花の消費も増大していきました。
えらぶゆりも戦前までは、欧米諸国への輸出商品として栽培されていましたが、国内の切り花産地からも温室栽培用切花球根の需要が増大し、大量生産体制に移行していきました。
また,本島の農業も大きく変わっていきます。
我が国のコメの過剰により、水田転換が進められ、需要の増大していたさとうきびの増産が図られ、同時に、大都市向けの輸送野菜や肉用牛子牛の需要増大等、従来の自給的生産から換金性作物生産へと農業構造が大きく変わっていきました。
更に、奄美大島特産の大島紬の需要が高まり、大島紬の機織りも盛んになっておりました。
限られた労力で生産拡大に対応するため、土地基盤整備が進められ大型トラクターが導入され農業の機械化が推進されていきました。
ゆりの生産も規模拡大が図られ生産量も飛躍的に伸びていきました。
ゆりの品種もこれまで野生種からの選抜や種苗商社からの導入種が中心で、「アンゴー」「佐伯30号」「植村青軸」「殿下」「城山」等、多数の品種が栽培されていましたが、昭和29年アメリカから導入された「ジョージア」と昭和40年福岡県の中原喜右衛門氏が育成した「ひのもと」が導入され、輸出用、国内用として栽培され、えらぶゆりの二大品種として生産拡大が図られていきました。
次回は、急激に増産されたゆりに発生したトラブルやその改善策等について、記述します。