えらぶゆり生産のあゆみ
【第11回】えらぶゆりの育種家
喜井 利一(きい としかず) 氏(1920年~1998年)和泊町喜美留
主な職歴:宮内省禁衛府皇宮衛士退役後、大島産業試験場、和泊町経済課長、永良部百合・フリージア生産出荷組合専務理事、えらぶ花き園芸組合専務理事等
喜井利一氏は、えらぶゆりの発祥の地で生まれ、若い頃からゆりの研究に熱心であった。
大島産業試験場や役場経済課で農業技師として農業指導にかかわるとともに、島の特産のえらぶゆりの研究に情熱を傾け、試験研究機関や種苗商社などとの幅広い人脈を活かし、新品種育成の地道な研究を続けていた。
戦後、アメリカから逆輸入されたジョージア種が輸出品種の主力になっていたが、ジョージアに勝る、大輪で耐病性、早咲きで栽培し易い品種育成を目指していた。
ゆりの品種改良は、交配、採取、植え付け、選抜を繰り返す根気のいる作業である。
氏は、役場の忙しい業務の傍ら、時には夜遅く黙々と交配や植え付け作業を行う姿があった。
その成果が実を結び、昭和50年「えらぶの光」、昭和59年「きびる」、昭和63年「えらぶの彗星」を作出し、農林種苗品種登録されている。
その後も「リイゲン」「リイチ」等を作出している。
氏の功績は広く受け継がれ、ゆりを始め、キクやグラジオラスなど花の島として地域に定着している。
小林 正芳 (こばやし まさよし)氏(1931年~2014年)
主な職歴;鹿児島大学農学部卒、農林省九州農業試験場園芸部花き研究室勤務後、鹿児島県農業試験場に移籍、花き研究員として勤務、鹿児島県農業試験場花き部長、定年退職後、和泊町花き指導監等
戦前戦後は、在来品種の「アンゴー」種が輸出用主力品種であったが、国内向け需要の高まりから、ゆり組合と連携し、「ひのもと」種の導入や輸出用「ジョージア」種の栽培技術改善に尽力した他、機械化・省力化の推進等、えらぶゆり産地確立に貢献した。
また、ゆり需要が増大する中で、病害虫の発生、ウィルスによる品質低下、輸送中の球根腐敗、ネダニの発生等、次々と起きる諸問題に対処するため、他の研究機関との情報提携や現地試験を実施した。
特に、ネダニ被害に対するダイジストンの施用、親子リンペン繁殖法の推進、球根消毒による腐敗球防止、摘花剤による球根肥大と省力化、機械化の作式改善等を推進された。
昭和46年、国の指定試験としてテッポウゆりの育種に取り組み、昭和53年、「おきのこまち」「おきのかおり」昭和56年、「おきのしらたえ」が農林登録された。
氏は、本町の町制施行50周年記念事業に「世界のゆり170種」10万株を一斉開花させ、「国際ゆりシンポジウム」や「NHK素人のど自慢大会」を開催して、花の町のPRに貢献された。また、平成10年、えらぶゆり栽培100周年に当たっては、「えらぶゆり100年誌」の編纂責任者として、貴重な資料を纏められた。
次回は、えらぶゆり栽培100周年事業の取り組みを紹介します。
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