えらぶゆり生産のあゆみ

【第10回】(株)沖永良部球根バイオ研究所の設立


メリクロン球の導入でゆりの品質向上が図れることが実証され、県フラワーセンター等からの優良球根の供給体制ができたが、より安価に、より早く供給できる体制として、地元にバイオ施設整備の要望があった。

当時は、バイオ技術が様々な分野で研究され、官民挙げて取り組まれていた。
また、国では民間の研究開発を支援する制度を立ち上げており、農水省では、生物系特定産業技術研究推進機構(以後「生研機構」という。)を設立し、バイオ技術を活用した地域特産品の研究開発への出融資による支援事業を始めた。

昭和62年1月9日の官報に募集公告があり、地元ではかねてよりバイオ施設整備構想を練っていたことから、速やかに計画書作成に取り掛かった。
昭和61年度の第1回の応募期間が、1月下旬から2月下旬までの1ヶ月間となっており、研究課題の設定や組織体制等について協議を重ねた。

バイテク技術を活用した、特産のてっぽうゆりの無病化と大量増殖、更には、オリジナル品種の開発で低迷しつつあるえらぶゆりの復活を賭けた取り組みに、和泊、知名両町、両農協と永良部百合・フリージア生産出荷組合、それに地元の南栄糖業株式会社が加わり、更に、協和発酵株式会社が技術提供するとして、7社の組織体を作り、生研機構に出資応募した。

当初は、バイオ技術で解決したい課題が多分野にわたり、種々検討されたが、出資計画協議の中で、「花き球根類のバイテク育種と大量増殖技術の開発」に決定し、第1号の出資会社に選定された。

昭和62年4月20日、(株)沖永良部球根バイオ研究所が設立され、研究所建屋建設や育苗施設、試験ほ場を整備して研究施設整備を図るとともに、協和発酵(株)から研究員の派遣と地元研究スタッフを配置して、組織培養技術の研修やゆりの遺伝資源収集等、基礎研究からスタートした。

強制人口交配

強制人口交配

花柱切断後花粉交配

花柱切断後花粉交配

培養槽栽培で生産した球根

培養槽栽培で生産した球根

ゆりの球根培養

ゆりの球根培養

生研機構の出資期間は7年間で、その間、研究テーマの交雑種の育種やウィルス検定、大量高速培養の治験を得られたものの、実用化には至らなかった。

その後、地元株主で事業継続を図ってきたが、限られた予算、人材での研究に限界があり、平成18年3月、20年間にわたる研究所の歴史を閉じることになった。

次回は、えらぶゆりの育種に尽力した、小林正芳氏、喜井利一氏の功績について記述する。

The following two tabs change content below.
大福 勇
<氏名>大福 勇<生年月日>昭和27年生 <経歴>・昭和45年沖永良部高校卒業 ・昭和47年鹿児島県立農業講習所卒業 ・昭和47年和泊町役場に農業技師採用 経済課勤務 主に園芸担当 ・昭和55年農林水産省との人事交流 農林水産省農蚕園芸局果樹花き課勤務(企画班・花き班) ・昭和57年和泊町役場復帰経済課 ・平成21年和泊町役場退職 ・平成21年沖永良部花き専門農業協同組合勤務現在に至る。
2016-01-01 | Posted in えらぶゆり生産のあゆみComments Closed