えらぶゆり生産のあゆみ
【第5回】変動為替相場制後のゆり事情
第2次世界大戦後世界の平和が保たれ、我が国の経済も固定相場制のもとで輸出産業が急速に発達してきました。
経済成長に伴いゆりの需要も増大し、国内、輸出共に史上最大に達しましたが、我が国の急激な輸出増大は世界の貿易不均衡を招き、昭和46年のニクソンショックやスミソニアン合意で大幅な円の切り上げが行われ、更に2年後には変動為替相場制へと移行していきました。
以降、円高が進み輸出産業は大きな打撃をこうむりますが、製造業を中心とした工業は技術革新や効率化により対応を図り、より強固な産業構造を築いていきました。
ゆりづくりも機械化や栽培技術の改善で生産性の向上は図れたものの、為替相場に対応するコスト削減には限界があり、輸出先のオランダ国からの需要が減退してきました。
また、オランダやアメリカでは割高になった日本産の代替として自国産の育成に力を入れ、ブリーダーと呼ばれる育種家が活躍し、自国産のテッポウゆりを生産し供給する体制に変わっていきました。
本島の輸出用品種である「ジョージア」は、早咲きで多輪である等、品質面での評価は高く根強い需要に支えられ生産を続けてきましたが、日々変わる為替レートにゆり価格の対応ができない状況にありました。
1ドル360円からどんどん円高が進み、300円、250円、150円、100円と、自分たちの身の回りに関係のない世界でありましたが、ゆりの価格は円高・ドル安、更にはオランダの通貨であるギルダーとの為替レートも関係し、大都会から遠く離れた離島の経済に為替相場が大きな影響を及ぼしていました。
えらぶゆりは、為替相場や需要と供給の市場原理に連動する商品であり、島民はゆりを通し、経済情勢に敏感な社会性を身につけてきたと考えます。
ゆりの輸出が厳しくなる中で、国内の花の需要は増大しており、新たな品目としてフリージアの需要が高まってきました。
次回は、フリージアの生産状況について記述したいと思います。
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