えらぶゆり生産のあゆみ
【第8回】バイオ技術を活用したゆりづくり
ゆりづくりで最も注意すべきは、ウィルス病対策である。
一度ウィルスに感染した罹病球根は、回復することも治癒することもなく、抜き取って焼却処分か埋設処分しなければならない。
畑の隅に放置するとアブラムシによって、次々と伝染しウィルスが蔓延する。
えらぶゆりが経済作物として増産されると、ウィルス病も多発するようになった。
特に、沖永良部台風後は、管理作業も疎かになったこともあり、病気が蔓延し、切り花産地からクレームが続出、産地崩壊の危機に至っていた。
品質改善協議会において、「えらぶゆりがウィルス病や腐敗病に侵され品質低下が数年続き、国内外においてえらぶゆり離れが深刻となっている。」、「米国は数年前から輸入を中止し自国生産に切り替えた。オランダでもえらぶゆりの品質低下で損害が生じ、4~5年前から球根生産を始めた。」といった問題が取り上げられている。
このような現状を打開するため、当時研究段階にあった、バイオ技術によって品質改善に取り組むことにした。
ゆりの増殖は一般的には栄養繁殖のため麟片で行うが、麟片ではウィルスも継承される。
茎頂培養法は、ウィルスに汚染されていない生長点を0.3mm~0.5mmで摘出し培養する方法で、ウィルスに汚染されていない無病球根を生産することができる先端科学として期待されていた。
バイオ技術の実用化については、大学や研究機関、更には企業でも事業化の取り組みが行われていた。
当時、本島と関係のあった企業に、島の窮状を相談し、ゆりの茎頂培養による無病球根の供給を依頼した。
相談先の企業では、大量増殖体制を整備し、地元の要望する、年間10万球を昭和58年から5年間供給する。
品種は、輸出用のジョージア種とした。
価格は、1球100円で年間1,000万円の多額の投資であるが、えらぶゆりの品質改善と信頼回復に関係者一丸となって取り組んだ。
多額な負担は、行政と生産者、集荷責任者、指定商社で分担することになった。
それ程、えらぶゆりは厳しい状況に追い込まれていた。
昭和58年、最初のメリクロン球ジョージア種10万球が到着する。
フラスコで育てられた極小球であった。
このメリクロン球を大事に育て、種球更新を図り、3年目で生育の揃った無病のゆり生産ができるようになった。
メリクロン球の普及で品質改善が図られ、信頼回復の期待が高まっていたが、為替相場は更に円高に進み、輸出用の需要が低迷し、せっかく品質回復したゆりを生産調整する事態になっていた。
為替相場の変動は、ゆり販売に大きな影響を及ぼし、なお一層の計画生産の徹底やコスト削減が求められた。
次回は、組織改革の経緯を記述する。
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